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連載敵対的買収1−敵対的買収が嫌われる理由(平成21年12月22日)


1 連載を開始するにあたって

  私が弁護士を開業して、すでに20数年が経過しようとしていますが、なぜか縁あって、新米弁護士のうちから買収側代理人として敵対的買収に関与する機会を多く得ました。

  20年前の敵対的買収は、現在のように社会に認知されたものではなく、敵対的買収を仕掛けることは法の間隙をついたアン・フェアなものであり、アウトロー的な立場にある者が行う非常に行儀の悪い行為であるなどといった意見も多く聞かれました。そのため、私たちも、こうしたアン・フェアな行為の代理を行う行儀の悪い弁護士といった目で見られたりもしたものであった。

  ただ、敵対的買収は旧商法その他の法制度上において何ら違法視されるものではなく、むしろ、株式の自由譲渡性のもと、大株主が会社の支配権を握って取締役を選任するのが株式会社の根幹的仕組みであることからすれば、それがアン・フェアとか、行儀が悪いなどといった非難を受けるいわれはないという見識も確固たるものとして存在していたために、敵対的買収の試みは継続して行われてきました。そして、現経営陣による第三者割当増資などを手段とした敵対的買収に対する防衛策の発動については、旧商法の規定に則った裁判所の司法判断がなされ、自己保身を目的とする防衛策の発動は差し止めらてきました。

  そして近年になって、日本でも、敵対的買収に寛容な風土が醸成され、敵対的買収に意欲を示す投資会社(ファンド)や事業会社が出てきたために、敵対的買収が正当な経済行為として評価され一躍脚光を浴びることとなりました。

  ところが、投資会社(ファンド)の代表格たるライブドアや村上ファンドが司直の手によって葬られ、果敢に敵対的買収を仕掛けた事業会社の王子製紙や日本電産も、経営陣や従業員の激しい抵抗にあって腰砕けになるなど、その跳躍ぶりは継続しませんでした。

  M&Aが企業再編その他の目的の手段として正当に評価されている中で、敵対的買収だけはM&Aの鬼子のように扱われてきた歴史的経緯がある中で、自由主義経済という制度やそこで構築された資本市場において、今後この鬼子がどのような扱われ、評価され、活用されていくのでしょうか。結局、日本の風土にはなじまないものとして社会的には葬り去られてしまうのか、外圧等の影響のもと、正当かつ合理的な企業再編の一手段として、もしくは企業価値の向上に資するものとして認知され、今後その利用が盛んになっていくのでしょうか。また、敵対的買収に対する防衛策についても法的観点からの研究が進み、多くの議論がなされており、ライブドアがニッポン放送に対して敵対的買収を仕掛けた事件をきっかけに、これまでの第三者割当増資を手段とした防衛策(友好的な第三者を見つけてきて、大株主になってもらう。大株主になる人は多額の資金の拠出が必要となる。)ではなく、ポイズン・ピル(新株予約権等を差別的に割当てるなどして敵対的買収者の持株比率を引き下げる方法)を利用した防衛策の導入が検討され、また事前警告型買収防衛策などといった防衛手段が導入されています。

  こうした状況下において、冒頭で述べたように、買収者側代理人として敵対的買収に関与する機会を多く得た弁護士として、今後の連載記事において、敵対的買収の歴史を概観し、鬼子たる敵対的買収のあるべき評価について検討し、ポイズンピルや事前警告型買収防衛策の適法性について考察をしてみたいと思います。  
2 定義

  まず、「敵対的買収」の定義を見ておきましょう。

  「敵対的買収」とは、対象会社の経営に対して自らの意向を反映させること(究極的には支配権の獲得)を目的として、現経営陣(取締役会)の同意のないまま、対象会社の株式を市場等で買い集めることをいいます。

  したがって、現経営陣の意思にかかわらず対象会社の株式を買い集める(究極的には会社支配権の取得に動く)という意味で、現経営陣に対しては敵対的ではありますが、既存株主に対しては株式の買取の申込(株式を売ってくださいと申し込む)をするのであって、そこには敵対関係はまったくありません。

  本来株主は、敵対的買収者が提示する買収条件(株式買取価格等の買取条件)を吟味し、現経営陣に経営を引き続き任せた場合の将来の企業価値の向上(配当や株価の上昇)の見込みと比較し、株主の自由な意思決定により、株式を売却するか、保有し続けるかを選択すればよいことになります。したがって、株主にとっては、投下した資本の価値増殖の可能性及び選択肢が増えたわけですから、歓迎すべきことになります。

3 敵対的買収のタイプ

敵対的買収は、以下の3タイプに分類することができます。

① 事業戦略的買収
  メーカーその他の事業会社において、対象会社のもつ製品、市場、技術、従業員、経営陣等を、買収者の事業戦略上の観点から取得するために会社自体の買収を行うことです。

② 財務戦略的買収
  無能な経営陣、不適切な会社経営、非効率的な資産運用、成長戦略不在等の理由により株価が過小評価されている会社を買収し、適切な会社経営、効率的な資産運用、合理的な成長戦略などの提案を行い、現経営陣にその実行を迫るとともに、これが受け容れられない場合は現経営陣を交代させることにより企業価値を高めることを目的として買収を行うことです。

  アクティビスト・ファンドなどがその代表であり、その目的は過小評価されている株価を適正評価額に戻すことによりその鞘を抜くことにありますが、そのこと自体は資本市場における正当な経済行為であり、違法視されたり、もしくは不適切な行為であると評価されるべきものではありません。なぜなら、こうした鞘取り行為は、資本市場における経済行為そのものであり、資本市場構築の目的であって、これを否定するとき資本市場の存在意義はないからです。

  ただ、こうした買収に対しては、資本市場の原理やメカニズムを理解しない人たちによってマイナス評価されることもあることは事実です。

③ 濫用的買収
  グリーンメーラーのように買い集めた株式を高値で買い取るよう現経営陣に対し要求するなど、それ自体違法視される行為により利益を得ることを目的として買収を行うことです。

4 買収比率

  買収者が買い集める株式の比率に関し、取得比率とその効果は次のようになります。
① 33.4% 支配権は取れませんが、M&Aや重要事項について拒否権をもつことができます。
② 50.1% 株主総会で議決権を行使することによって取締役を選任できる(解任も可)ので、支配権を取得することができます。
③ 66.7% M&Aや重要事項について特別決議を可決することができます。その結果、少数株主の締め出しも可能となります。

5 敵対的買収が嫌われる理由

  当時も今も、日本において、敵対的買収がアン・フェアであるとか、行儀が悪いなどといったマイナス評価がなされる理由は簡単です。日本の雇用制度及び現実の会社制度は、終身雇用制及び年功序列制と、従業員の昇進ポストの頂点に取締役があるという従業員取締役制が確固たる制度として構築、運用されていたからです。そこでは、従業員は年齢とともに昇進し、その過程を勝ち抜いて従業員のトップに立った者が取締役や代表取締役の地位に就任し、会社の支配者として会社経営を取り仕切るということになります。そして、こうした従業員による内部昇進の仕組みが可能となるのは、銀行や取引先との間で株式を持合うなどの方法で安定株主対策を行い、そうした株主が物言わぬ株主として議決権の行使を経営陣に白紙委任するために、経営陣のトップである代表取締役を頂点に経営陣による人事権が確立しているからです。これは、株主が取締役を選任し、株主によって選任された取締役に対して経営委任をするという旧商法その他の法律の規定するところとは異なる従業員自治が成立しているからです。

  ところが、突然に敵対的買収が開始され、見知らぬ株主が大株主として登場し、従業員自治を否定し、会社法の建前通りに自ら議決権を行使して取締役を選任するならば、現経営陣は再任されず、場合によってはその経営手腕を否定されて解任されかねないことになります。そうなれば、会社のトップとして君臨していた代表取締役はもちろんのこと、取締役もその地位、報酬等の経済的利益などが一挙に奪われることになります。また、経営陣である取締役だけでなく、従業員も従業員自治において予定されていた取締役への昇進の可能性が否定されることになります。そうなると、会社の取締役と従業員は、あらゆる手段を尽くして、敵対的買収に対抗してこれを阻止したいと考えるのは、自然かつ当然のことであり、極めて経済合理性のある行為です。そして、こうした動機、心情は、敵対的買収のターゲットになった会社だけでなく、日本の雇用制度及び従業員取締役制度という共通の基盤の上に自己の地位がある他の会社の取締役や従業員もこれを他人事として捉えるわけにはいきません。そのような敵対的買収が社会的に許容されること自体が受け容れがたいと感じるのも当然でしょう。そのため、敵対的買収に対する社会一般の評価として、日本の風土に合わない、アン・フェアである、行儀が悪いといった評価が多数を占めることになるのもこれまた自然なことです。

  しかしながら、敵対的買収をもって法制度上違法であるということはできず、むしろ旧商法や会社法は、支配株式を取得し、株主総会で議決権を行使することによって取締役を選解任し、支配株主が選任した取締役に対して会社経営を委任することをその根本原理として定めていることは、社会一般が理解していることなのです。

  ここにおいて、敵対的買収は、近代的な会社制度やM&Aの制度が生んだ鬼子であるかのごとき存在として感じられることになるのです。