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裁判官がアホやからえん罪事件が生まれる1
日本長期信用銀行粉飾決算刑事事件
1審、控訴審ともに有罪。最高裁で、高裁判決破棄、無罪の言い渡し。
民事事件では、1審、控訴審、最高裁で一貫して請求棄却(責任なし)。
なぜ、刑事裁判官は、検察官の主張にここまで迎合するのか
(平成20年7月18日最高裁判決)


2010/8/11

 日本長期信用銀行(長銀)の首脳らが起訴された粉飾決算刑事事件では、1審、控訴審で有罪判決が出ていましたが、最高裁は控訴審判決を破棄し、首脳らに無罪の判決を言い渡しました。本件は、長銀破綻後の特別公的管理(一時国有化)に伴う膨大な額の公的資金の投入に対して世論が激しく反発したことの結果として、その経営責任を追及すべく検察当局が捜査を行い、粉飾決算があったとして起訴したものです。これに対しては、国策捜査との批判があり、特に、金融政策、金融行政の失政、こうした行政指針に基づきバブル崩壊後不良債権処理を処理を先送りして金融機関の経営姿勢の問題を、銀行破綻時にたまたま経営トップにいた首脳らの個人責任に転嫁することの不合理性が当初から指摘されてきました。

 そして、刑事事件の裁判では、1審、控訴審ともに有罪判決が出たのですが、その判断は、検察当局の主張に迎合したものであり、論旨には説得力がないという批判がありました。また、同じく粉飾決算を理由として長銀首脳らに起こした民事事件である損害賠償請求事件では、1審、控訴審、上告審ともに一貫して首脳らの個人責任を否定する判決が出されており、その論旨は刑事事件の論旨に比較して大変明快で、説得力のある判断がなされております。そして、最終的には、刑事事件においても、最高裁が控訴審の有罪判決を破棄し、民事責任、刑事責任のいずれも首脳らにはないという結論に至りました。すなわち、刑事事件の1審と控訴審の論旨に関しては、私やその他の一部の識者だけが説得力に欠けると評価していただけではなく、刑事と民事という分野の違いがあっても同じく司法権を行使する民事裁判官がこれと異なった判断を行っており、最後には司法権の最後の担い手である最高裁が「判決に影響を及ぼすべき法令の違反と重大な事実誤認があって、破棄しなければ著しく正義に反する。」(判決書の記載)といったわけです。

 実は、本件と基本的な争点を同じくする日債銀粉飾決算刑事事件というものもあります。この事件でも、日債銀首脳が1審、控訴審ともに有罪判決を受けたものの、上告審で破棄されております(但し、無罪ではなく、審理が尽くされていないとして控訴審に差し戻し)。結局、日債銀事件でも刑事裁判官は、長銀事件同様、同じ過ちを犯していることになります。

 それでは、なぜ、刑事裁判官は、検察当局の主張に迎合し、こうした過ちを繰り返すのでしょうか。この問題を本稿では考えてみたいと思います。

第1 刑事事件について
1 経緯
 本件は、平成10年10月に破綻した長銀の首脳らが、同年3月期の決算に際し、バブル経済の崩壊により発生した多額の不良債権を隠ぺいするために不良債権の価値を多額に評価して粉飾決算を行い、決算に関し内容虚偽の有価証券報告書を作成して大蔵省に提出するとともに、株主に違法配当をしたとして、虚偽記載有価証券報告書提出罪(旧証券取引法違反)と違法配当罪(旧商法違反)の罪により起訴された事案です。

 その違法行為の内容は、不良債権化していた貸出金について、取立不能見込額として償却・引当すべき額の計上を行わないで損失を過少に計上し、その結果算出される利益の額を基準として違法に配当したというものです。ただ、金銭債権の評価に関しては、旧証券取引法も旧商法も具体的な算定方法(取立不能見込額の算定方法)に関して明示しておらず、旧商法が単に「商業帳簿の作成に関する規定の解釈については公正なる会計慣行を斟酌すべし」と言っているだけです。そのため、違法行為に関する検察当局の主張は、長銀の首脳らが行った金銭債権の評価の方法は当時の「公正なる会計慣行」に従っておらず、従うべき会計基準からすれば虚偽の内容の決算を行ったというものでした。これに対して、長銀首脳らは、検察のいう会計基準はいまだ「公正なる会計慣行」といえるものではなかったという反論を行いました。

  この点に関し従前は、大蔵省から発出された銀行の会計処理の基準となるべき「決算経理基準」があり、税法基準によって補充されたこの決算経理基準が、公正なる会計慣行として理解されていました(旧基準)。これは、法人税法で損金算入が認められる限度額において企業会計でも貸出金の償却・引当をすれば足り、この限度を超えてまで償却・引当の処理を行う必要がなく、また関連ノンバンク等に対する貸出金については、母体行主義を背景として金融支援を継続する限り、償却・引当は不要であるというものです。ところが、不良債権処理が遅々として進まない状況下で、大蔵省は、銀行経営の健全化を図るため、「早期是正措置制度」を導入することにして、平成10年3月期決算から、銀行は資産を自己査定し、貸出金はその回収可能性に応じて分類し、税法基準によることなく適正な償却・引当を行うことにしました(新基準)。そして、大蔵省は、金融証券検査官宛に、資産査定通達と呼ばれる通達やその他の事務連絡を発出するなどしてその準備に取りかかり、その内容を周知させるなどしました。また、全国銀行協会連合会は、資産査定Q&Aをまとめ、日本公認会計士協会は、資産査定に関する実務方針を作成、公表するなどしました。さらに、大蔵省銀行局長は長銀宛に、平成9年7月31日付け書面において、平成10年3月期決算から新基準によるべきことを通知しました。

 そして、平成10年3月期の決算を迎え、長銀でも、独自に自己査定基準を策定して査定を行いましたが、その査定結果は、旧基準によればこれを逸脱した違法なものとは直ちにいえないものの、新基準によればこれを逸脱する内容になっていました。

 以上の経緯の中で、検察当局は、平成10年3月期の決算当時、新基準が唯一の「公正なる会計慣行」になっており、旧基準はもはや「公正なる会計慣行」からは排除されていたので、長銀の首脳らは新基準にしたがって決算を行わなければならないところ、もはや「公正なる会計慣行」ではない旧基準にしたがった決算を行い、費用を過少に計上し粉飾を行ったと結論づけたのです。

 このように、本件は、一般の刑事事件と異なり、きわめて技術的な法令解釈が争点となっており、一見とする複雑難解な事案のようにも思われますが、実はそうでもありません。銀行関係者において旧基準がもはや公正なる会計慣行から排除されていたと認識されていたか否かが争点となるだけです。

2 1審及び控訴審の判示内容
 1審及び控訴審は、検察官の主張を容れ、上記資産査定通達等が発出された経緯等や新基準によるべきことが長銀宛通知されたことなどを認定した上で、新基準から大きく逸脱するような自己査定はもはや許されない事態に至っていることは金融機関の共通の認識になっていたと認められ、また旧基準は公正なる会計慣行から排除されていたとの認定を行い、新基準が唯一の「公正なる会計慣行」になっていたと判示し、長銀首脳らを有罪としました。

 すなわち、「新基準は、平成10年4月1日から導入される早期是正措置制度を有効に機能させるために必要な資産内容の査定方法を明らかにしたもので、また資産査定通達等の内容は大蔵省銀行局や金融検査部を中心に、日本公認会計士協会関係者、金融機関の関係者が参加してまとめたものの内容を明確にしたものである上、全国銀行協会連合会等を通じて金融機関にその内容が公表、送付され、周知徹底が図られている。もっとも、上記資産査定通達等は、金融検査官宛に発せられた検査の基準でありそれ自体は法規範性を有するものでないし、これ自体が公正なる会計慣行そのものということはできないが、公正なる会計慣行が何なのかを推知するための有力な判断材料というべきものである。また、こうした通達等を受けて金融機関においてもQ&Aを作成するなどして周知を図っており、10年3月期までの周知の期間も1年以上が確保されていたといえるので、旧基準は排除され、新基準だけが唯一の公正なる会計慣行となっていたということができる。」と判示し、有罪としているのです。

3 最高裁の判示内容
これに対して、長銀首脳らは、「公正なる会計慣行」とは、相当の期間繰り返され、広く行われて普遍性を獲得したものを言うべきであること、また前年まで「公正なる会計慣行」であったものが、資産査定通達等が発出されたことをもって「公正なる会計慣行」でなくなることもないといった主張を行って上告しました。
そして、最高裁は、要旨次のように判示し、新基準を唯一の公正な会計慣行とした控訴審の判示内容を否定し、長銀首脳らを無罪としました。
①新基準は、大枠の指針を示す定性的なもので、その具体的適用は必ずしも明確になっておらず、とりわけいわゆる母体行主義を背景として、一般取引先とは異なる会計処理が認められてた関連ノンバンク等対する貸出金の査定に関しては、具体性や定量性に乏しく、実際の資産査定が容易でなく、さらに新基準が関連ノンバンク等に対する貸出金の査定にまで厳格に適用されるものであるのか否かも明らかでなかった。
②以上のようなことから、平成10年3月期決算に関しては、多くの銀行では、少なくとの関連ノンバンク等に対する貸出金の査定に関し、厳格に新基準が適用になるとは認識しておらず、これを引当金として計上した銀行は4行にすぎなかった。また、長銀と他の1行は要償却・引当額について自己査定と金融監督庁の検査結果との乖離が特に大きかったものの、他の大手17行に関しても、総額1兆円にのぼる不足が指摘されていることからすると、当時において、新基準は、その解釈、適用に相当な幅が生じるものであったといわざるをえない。

③このように、新基準は、特に関連ノンバンク等に対する貸出金の資産査定に関しては、新たな基準として適用するには明確性に乏しかった認められる上、旧基準を排除して厳格に新基準に従うべきことも明確であったとはいえず、過渡的な状況にあったといえる。

 最高裁は以上の通り判示し、新基準が唯一公正な会計慣行とした有罪判決は著しく正義に反するとして破棄したのです。

 ところでこの事件は、最高裁の見識が最後は発揮され、えん罪事件が起きなくてよかったといってすまされる性格の事件ではないと思います。長銀首脳らは長期間勾留されていますし、無罪判決に至るまで10年が経過しています。なぜ、このようなことになるのでしょうか。

 皆様の中で、上記控訴審判決の判示内容を読んで納得する人はどれくらいいますでしょうか。検査の基準が変更になれば会計慣行が変わり、しかも検査基準の変更に関し1年程度の周知期間があれば長期間にわたって継続してきた会計慣行が直ちに排除されるというのはいくら何でも合理性がないと思いませんか。

 新基準が公正なる会計慣行であるというのは問題ないのです。問題なのは、旧基準が直ちに公正なる会計慣行から排除されるということであって、それはないでしょ、というのが一般的な感覚ではないでしょうか。本件は、そうであるにもかかわらず、検察官の主張に迎合し、何とか理屈をつけてその主張を追認するという刑事裁判官の習性が出ているようにどうしても見えてしまいます。

 長銀首脳らとその弁護人は、無罪判決を勝ち取るまで、こんな単純な理屈が理解してもらえないという大変な無力感を味わったものと思います。

 刑事事件の1審及び控訴審判決が、いかに不合理なものであるかは、実は、本件の民事事件の判示内容をみるとより鮮明になりますので、次に、これを見ることにします。

第2 民事事件について
1 経緯
 上記の通り、検察当局が、長銀の首脳らを虚偽記載有価証券提出罪と違法配当罪で起訴したのを受けて、長銀自体が違法配当を理由として上記首脳らに対し損害賠償の請求を行ったのが本件民事事件です。

 検察当局が起訴した以上、長銀としてもこれを傍観するわけにはいかず、違法配当の結果生じた損害については、首脳らに損害賠償の請求をせざるをえないということになるわけです。なお、本件損害賠償請求権は、後に株式会社整理回収機構が譲り受け、同機構が当事者として訴訟に参加しています。

 ところで、本件民事訴訟事件の請求原因となる理由及び事実は、上記刑事事件の検察当局の主張と全く同一であり、刑事事件で作成された供述証書など(特に首脳らの多くの自白調書)の多くが提出されています。ところが、刑事事件では1審、控訴審と首脳らが有罪とされたにもかかわらず、民事事件では1審、控訴審ともに請求棄却です(上告審は、上告が受理されなかったものと思われます。)。すなわち、首脳らに損害賠償責任はないという判断がなされています。

2 控訴審判決の判示内容
 この点に関して控訴審判決の説く理由は誠に明快で説得力があり、刑事事件の上記最高裁判決の内容を先取りするものです。私が要約するよりも、そのまま掲載した方が適切であると思いますので、若干長くなりますが、そのまま引用します。

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以上のとおり、新基準は、従来の基準である旧基準を大幅に変更するものであったとはいえ、その中核となる改正後決算経理基準は、旧基準で指示される会計処理を許容せず、その廃止を一義的で明確に指示するというものではなく、また、改正後決算経理基準を補充するものとされる資産査定通達等はいずれもガイドライン及びその解説の域を出るものではなかったものというべきである。そして、平成10年3月期においては、新基準自体が基準として備えるべき内容に不明確な点があり、実際に銀行の自己査定結果と当局の査定結果との間には大幅な乖離を生じたのであるが、当局側もそうした事態を十分に予想しており、この時期をトライアル期間として受けとめ、検査及びこれを通して議論を重ねる中でいずれ実務が新基準の示すガイドラインに収れんしていくことを期待していた。しかも、新基準の実施に当たっては、早くから導入の必要性が指摘され実務界からも要望されていた税効果会計の導入がされないままに新基準が見切り発車となるというセーフティネット整備面の重大な不備があり、また、新基準自体の周知策の点もこれが一応講じられたとはいえ、銀行実務の関係者や会計監査に当たる公認会計士らにおいても、新基準の内容の不明確な部分とりわけ新基準が一義的明確に税法基準を否定していると解釈できない以上は、よるべき基準として従前から繰り返し行われてきた税法基準に従った会計処理に強い親和性を示し、これに従った会計処理も新基準が否定するものではないと受けとめていたなど、新基準の内容の周知徹底は十分とはいえなかったのである。

したがって、新基準の内容上の不明確な点とあいまち、平成10年3月期当時の新基準の指し示す会計処理の内容、当時整備されていた制度の状態、関係者の実際の認識と実際に行われた会計処理の内容に照らすと、新基準が適用された平成10年3月期は、旧基準から新基準への定着を図るための試行期あるいは移行期ととらえるのが当時の実務の実状と関係者の認識に最も適合しているものと解される。そうしてみると、平成10年3月期においては、新基準は、それまで実務において繰り返し行われていた「公正なる会計慣行」である旧基準に基づく会計処理を一義的明確に廃止するものであったとは認めることはできない。
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 この判決は、藤村啓裁判長の東京高裁第15民事部が出したものですが、非常に論旨明快で、説得力がある内容だと思いませんか。大蔵省銀行局の担当者、公認会計士、銀行関係者らにおける新基準に対する認識は、まさに上記判決が判示する通りであったはずです。

 後述する日債銀粉飾決算刑事事件とあわせて、刑事事件では、1審段階で2つの有罪判決、控訴審段階で2つの有罪判決が出る中での上記民事判決であって、検察当局の主張内容に迎合することなく、長銀首脳らの主張に謙虚に耳を傾けて、本来の裁判官の職責である中立的立場に立って的確な判断を行ったという意味で敬服します。ただ、判決内容は、常識的で、当然の判決ということもできます。なお、第1審においても、上記判断と基本的には同様な判断がなされており、長銀首脳らの責任は明確に否定されています。

 なお、余談ですが、藤村啓裁判長がいつも至極まっとうな判決を書くかというとそうでもないところがあります。アクティビスト・ファンドであるスティールパートナーズの敵対的なM&Aに対しブルドッグソースが新株発行を行って対抗した事件での新株発行の適法性が争われた仮処分手続の抗告審で、スティールパートナーズを濫用的買収者だと決めつけて、資本市場で業務を行う人々の感覚とは著しく乖離した判断を行ったのは藤村啓裁判長です。上告審では、結論部分に変更はなかったものの、同裁判長の論旨は当然採用されませんでした。また、私も個別案件で、ときたまびっくりするような内容の判決を食らうことがあります。

3 重要な問題点
 ところで、上記民事判決の結果を見て認識すべき最も重要な問題点は、法の定める司法制度を前提にするならば、本来は逆の結果が起こらなければならないということです。すなわち、近代の司法制度においては、刑事事件ではより厳格な有罪立証が要求されているはずですから、刑事事件では無罪、民事事件では有罪(請求認容)となることはあっても、その逆があってはならないはずなのです。15年くらい前に、米国でOJシンプソンという有名なアメフトの選手が妻殺害の容疑で起訴されたとき、彼はドリームチームという各界の敏腕弁護士を集めた弁護団を組織し、多くの有力な証拠があったにもかかわらず、陪審裁判で無罪を勝ち取りましたが、民事事件である妻の遺族からの起こされた損害賠償請求事件では短期間の審理の結果敗訴判決を受け、多額の賠償責任を負わされました。そのため、当時の多くのアメリカ国民が同国の刑事裁判制度のあり方を非難しましたが、刑事裁判においては厳格な立証を要求する本来の司法制度の建前はきちんと機能しているのです。ところが、本件では全く逆なのです。民事事件の立証要求が緩いというよりも、刑事事件の立証要求がゆるゆるであるというしかありません。

 なぜそうなってしまうのかを、以下において説明します。

第3 刑事裁判官がだめな理由

 本事件において、民事事件で提出された証拠と刑事事件で提出された証拠は、基本的には同一です。そこには、首脳らが起訴事実の内容を認めた自白調書も数多く存在しています。例えば、「回収不能を認識しながらトップの指示により償却・引当を回避し、配当するために共謀した」といったたぐいのものが多くあるはずです。それにもかかわらず、民事事件では責任なしという判断になるのはなぜでしょうか。

 藤村啓裁判長は、これに関しても、大変に含蓄のあることをいっていますので、そのまま引用します。

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「控訴人は、被控訴人ら(首脳ら)が、一審原告(長銀)の当時の償却原資の状況からみて、償却不能な不稼働資産を抱えていた結果、その存在を隠ぺいし、その処理を先送りするため、意図的にこれに合わせた自己査定基準を策定したと主張する。そして、控訴人はこの主張に沿う旨を述べる被控訴人四谷、同五木、同二宮、同三井、同六田、同七瀬及び八代政男の検察官に対する各供述調書(甲61、甲62、甲67、甲80、甲87ないし甲89、甲93ないし甲96、甲99ないし甲105、甲109ないし甲111、甲113、甲114、甲160ないし甲170、甲233ないし甲246)及びこれを裏付ける一審原告ないし関連ノンバンクの当時の社員らの検察官に対する各供述調書(甲63ないし甲66、甲70ないし甲77、甲79、甲81ないし甲86、甲90ないし甲92、甲106ないし甲108、甲171ないし甲182、甲218ないし甲227)を証拠として援用している。

しかし、それらの供述部分は、そうした意図を否定する被控訴人四谷、同五木、同六田、同二宮、同三井、同七瀬及び八代政男の刑事公判廷における各供述(甲115ないし甲133、甲141ないし甲145、乙122、乙123、乙126、乙127)、同人ら(被控訴人三井を除く。)の各陳述書(乙100、乙101、乙105ないし乙108、乙121)並びに被控訴人七瀬、同六田、同四谷、同二宮及び同五木の原審における各供述に照らしてみると、結局、早期是正措置の前倒し実施に伴い、平成10年3月期の決算に向けた自己査定基準を策定するに当たり、一審原告及び関連ノンバンクが当時、他の金融機関と同様に、多額の不良債権を抱えつつ、他方で含み資産の減少等による経済的苦境にある中でなおBIS基準の達成を図るために、それまでの公正なる会計慣行であった旧基準を念頭に置きながら、新しく公正なる会計慣行になろうとする新基準の射程距離を測りつつ、新基準の趣旨及び原則に照らせばこれに反するとみられる可能性があっても、旧基準の下では適合する内容であるし、新基準の下でもなお例外的に許容される可能性があるのではないかといういわばその限界を探求した結果が一審原告の自己査定基準であったことから、それが新基準を基にした商法の原理原則論からすればこれを潜脱しようとするものではないかと取調検事から理詰めで追及されれば理論上は容易に否定し難い事柄であるかのごとく思われたために、一審原告の破たんに対する経営陣の一員としての自責の念の下で、上記のような趣旨の供述となったものとうかがうことができる。

したがって、上記の控訴人の主張に沿う各証拠をもって、直ちに控訴人の主張するような被控訴人らの意図ないし認識を認めるのは、上記に繰り返し検討を加えてきた新基準の発出の経緯、これを唯一の会計慣行とするには重要な点で無理があったこと等に照らすと、いささか皮相な見方というべきであって賛同することはできない。
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 的確な判断だと思います。長銀が多額の不良債権を抱えつつ、経済的苦境にある中でなおBIS基準の達成を図るために、新基準に従えばこれに反する可能性があっても旧基準の下では適合する内容であるし、新基準の下でもなお例外的に許容される可能性の限界を探求した結果の決算であって、それが新基準を基にした商法の原理原則論からすればこれを潜脱しようとするものではないかと取調検事から理詰めで追及されれば理論上は容易に否定し難い事柄であるように思われたために、長銀破綻に対する首脳としての自責の念の下で、刑事責任を認める供述になったものであろうといっているのです。刑事事件において作成された自白調書に対する裁判官の見方はまさにこうあるべきなのです。

ところが、刑事裁判官にはこれができません。自白調書が提出されると、被告人が有罪だということを自ら認めていたということをもって思考はそこで停止します。刑事裁判開始後に審理が行われる公開の法廷で自白調書の内容を翻し、訂正するようなことをいっても、刑事裁判官は全くこれを聞きません。公判廷の供述の方が合理的であったとしてもです。これが検事の作文(検察官調書の作成)によって有罪とされると批判される刑事裁判の実態なのです。ここでは刑事裁判官はその職責を全く果たしていません。なぜ、そうなってしまうのでしょうか。100%有罪事件の処理に追われ、聞いてもしょうもないくだらない言い訳ばかりを被告人から聞かされることがルーティンになっているからでしょうか。私には、刑事裁判官が有罪の被告人ばかりを扱っていることによって、自らの職責をして治安維持の一翼を担っているかのような錯覚に陥ってしまっていることが原因のように思えてなりません。

第4 まとめ

 上記最高裁判決の補足意見は、業績の深刻な悪化が続いている関連ノンバンクについて、積極的的支援先であることを理由として旧基準で評価すれば、実態との乖離が大きくなることは明らかであり、長銀の決算は、その抱える不良債権の実態と大きく乖離していたものと思われ、このことは企業の財務状態をできる限り客観的に表すべき企業会計の原則や企業の財務状態の透明性を確保することを目的とする証券取引法における企業会計の開示制度の観点からすれば大きな問題があったとしても、これは立法政策、行政政策の瑕疵、過誤の問題であって、銀行首脳らの個人の責任を追及するのは見当違いであるという趣旨のことをいっていますが、同感です。

 そして、最後に、ここでも、藤村啓裁判長の判示内容で締めてもらいましょう。付け加えることはありません。

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一審原告の経営破たんの原因を分析してみれば、経営責任者であった被控訴人らのいわゆる護送船団方式といわれた国家的保護の下での安閑とした経営姿勢、あるいは定見のないままバブル経済を推進した無責任な経営姿勢等を指摘することはできようが、それはひとり被控訴人らだけに向けられるべきものではないし、従前の金融政策、金融行政の在り方にも深く関係する性質の問題でもあるのであり、個人責任を問う本件の損害賠償請求の成立要件としての違法評価とは性質、領域を異にするものというべきである。このような点も見てみれば、歴史的にも特記に値する金融危機の打開策として、問題を抱えながら発出された新基準に適合しない会計処理があったことをもって直ちにこれを商法上違法であるとした上で、被控訴人らを損害賠償という形で個人的に断罪するのは、法の解釈・適用の在り方の基本部分に疑問が残り、肯認できないものである。
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第5 日債銀事件
 日本債券信用銀行(日債銀)も経営破綻後、検察当局の捜査が入り、粉飾決算を理由に、日債銀首脳らが起訴されました。この日債銀事件の基本的な争点も、長銀事件と同様です。

 裁判の結果は、長銀事件と同様に、1審、控訴審は日債銀首脳らを有罪としましたが、最高裁は、長銀事件と同様に、新基準が当時の唯一の公正なる会計慣行であったということはできないといって、控訴審判決を破棄しました。ただ、その決算経理が、旧基準に従った場合において違法性がなかったかどうかを審理すべきとして、高裁に差し戻しています。

 これは、旧基準によると、事業好転の見込みのない貸出先の貸出金につき、回収の見込みがない部分を債権償却特別勘定に計上することができるとしており、ただ合理的な再建計画や追加的な支援が予定されている場合には、事業好転の見込みがないと判断することは適当でなく、銀行の支援先等は、原則として償却・引当をしないという会計慣行がありました。したがって、旧基準に従うことは違法ではないけれども、旧基準に従っても、本件においては事業好転の見込みがない場合に該当し、償却・引当が必要であったのではないかを審理しろというものです。

 長銀の場合は、貸出先が関連ノンバンク等であったのですが、これについては、母体行主義のもとにおいて原則として支援が求められていることから、個別具体的な事情を考慮するまでもなく類型的に「事業好転の見込みがないとはいえない」ということになるのに対し、日債銀の貸出先は独立系ノンバンクと不良資産の受皿会社等であり、それだけでは支援が求められている貸出先ということはできず、個別具体的な事情を考慮して資産査定をする必要があるということになるのです。