トピックス

納税者に不利益に変更された改正税法を遡及して適用することができるの??
どうにもわからない裁判官の感覚
私と裁判官の間には、深くて広い川がある??皆様はいかがですか

2010/8/18

 1 租税特別措置法の改正
 個人が購入した土地・建物等を売却(但し、長期譲渡)して損失が発生した場合、他の所得と損益通算できるというのが平成15年までの税法の規定でした。バブルの時代に購入した不動産を処分したときに損失が出るのは痛いけれど、他の所得(給与所得とか事業所得)と損益通算できて税負担が軽減されるから何とかしのげたという経験のある方も多いのではないでしょうか。

 ところが、これまたご存じの方も多いでしょうが、この規定は、平成16年3月26日に成立した租税特別措置法の改正法で廃止されてしまいました。この改正法は平成16年3月26日に成立、31日に公布、4月1日に施行され、しかも、この改正法はその効力を遡及させて平成16年1月1日以降の譲渡から適用があることになりました。すなわち、改正法が施行される以前である平成16年1月1日から3月31日までに不動産を処分した人も、損益通算ができないということになったのです。

 でも、これっておかしくありませんか。改正法が成立も、公布も、施行もされていない時期に処分したのに、その後に法律が改正されてその効力が遡及し、その結果損益通算ができないなんて、一般国民の感覚からすればそれはないだろうという感想になると思います。そして、憲法が規定する租税法律主義にも反するように思えます。

2 訴えの提起
 この改正法に関しては、納税者に不利益を及ぼす租税法規の遡及適用は許されないという訴訟が起こされました。

 まず、平成16年3月10日に不動産の売却を行ったX氏が、次のように主張して、訴えを提起しました。

① その当時の租税特別措置法により損益通算が可能であると信じて、不動産の売却を行ったのに、これが認められなくなり不利益を被った。
② 本件改正の内容は、平成15年12月15日の政府税制調査会の総会まで全く触れられず、17日の「与党税制改正大綱の骨子」に唐突に登場しており、本件改正は予見可能性のないものである。
③ さらに、改正法が成立したのは、平成16年3月26日であり、その後十分な周知期間を置くことなく、公布・施行されており、その適用は、長期間の資産計画の下に資産譲渡を行ったXの権利を奪うものである。

3 1審の福岡地裁判決
  1審の福岡地裁判決は、要旨、以下の通り判示しました。

①憲法は租税法律主義(法律なければ課税なし)の規定を置いてはいるが、租税法規不遡及の原則について明文の規定を置いていない。しかしながら、租税法律主義の規定は、租税法規不遡及の趣旨を包含していると解すべきである。
②しかしながら、租税法規不遡及の原則も絶対的なものではなく、租税の性質、遡及適用の必要性や合理性、国民に与える不利益の程度やこれに対する救済措置の内容、法改正についての国民への周知度等を総合勘案し、遡及しても国民の経済生活上の法的安定性と予見可能性を害しない場合は、許容される場合がある。
③損益通算の問題点は数年前から指摘されていたものの、この制度は50年以上にわたって継続して認められてきたものであり、改正前後でこれを変更しなければならないような重大な経済事情の変動があったわけではないことは、遡及適用の必要性・合理性を減じる事情である。
④改正の内容は平成16年度税制改正大綱に盛り込まれ、その内容が新聞報道されるなどしたが、法改正自体を明言するものではなく、平成15年12月31日までに改正の内容が国民に周知されていたといえる状況にはなかった。
⑤不動産の譲渡損失は、一般国民にとって大きな金額になるから、その損益通算を認めないとする改正法によって国民が被る経済的損失は多額に上ることも少なくない。
⑥以上の事情を総合して勘案すれば、改正法の遡及適用が、国民に対してその経済生活の法的安定性又は予見可能性を害しないものであるということはできない。

 この判決が出されたとき、筆者は、その判示内容を読みながら、なるほど裁判所は、物事を論理的、かつ合理的な考えるものだなと敬意を表したものでした。

4 その後の判決
 ところが、その後提起された同じ内容を争点とする東京地裁と千葉地裁の訴訟においては国の主張を認める判決が出され、その後上記福岡地裁判決の控訴審において、これまた国の主張を認める判決が出されました。東京地裁と千葉地裁判決の控訴審においても、結論は変わりませんでした。

 現在、福岡の事件は上告されることなく確定し、東京と千葉の事件は、上告中となっています。

5 国の主張を認める上記判決の理由
  国の主張を認める上記判決の理由はいずれもほぼ同様であり、国の主張するところをそのままなぞって判決理由としているだけです。

  以下においては、筆者の私見を交えつつ、福岡高裁判決を例に取り、その内容を説明します。

(1)総論
 上記高裁判決は、総論として次のようにいいます。
①納税者は、現在の法規にしたがって課税されることを信頼して取引を行うのであるから、法律の公布の前に完了した行為や過去の事実から生じる納税義務の内容を納税者の不利益に変更することは違憲となることがある。

 そして、本件改正は、その公布前の1月1日以降の不動産譲渡について適用するとしているから、公布の前に完了した行為や過去の事実から生じる納税義務の内容を不利益に変更するものである。

 私見→この部分は、国が、「租税法規の遡及適用とは、すでに成立した納税義務の内容を納税者に不利益に変更するものであるから、暦年の終了時に納税義務が発生する期間税である所得税の場合は、1暦年の途中においては納税義務は発生していないから、すでに成立した納税義務の内容を変更するものではない。」という主張を行ったのに対して、これを排斥したものです。

 この国の主張は大いなる屁理屈だと思いますが、裁判所は、期間が終了する時点で納税義務が発生するものであっても、納税者は取引の時の法規にしたがって当該取引に関する納税義務が発生すると信頼するのが通常であるから、不遡及の問題は、すでに成立した納税義務の内容を納税者の不利益に変更する場合に限られないといって、一応の見識を示しています。

②ただ、違憲となることがありうるが、すべてが違憲となるのではない。

 なぜなら、不遡及の原則は課税の民主的統制に基づく一定の制限があるというべきであるし、租税は、財政、経済、社会政策等の国政全般からの総合的な政策判断を必要とし、さらには課税要件を定めるにあたって専門技術的な判断も必要とするので、裁判所は立法府の裁量的判断を尊重する必要がある。

 そうであれば、遡及適用に合理性があるときは違憲となるものではない。

 そして、その合理性判断は、①遡及の程度、②遡及の必要性、③予測可能性の有無、程度、④納税者が受ける不利益の程度、⑤代償的措置の有無、内容を総合的に勘案して判断されるべきである。

 私見→このあたりの論旨は、福岡地裁判決とそう変わりません。すなわち、総論部分に大した相違はないということです。

(2)各要素の検討
  以上の総論を前提に、上記判決は各要素の検討を次のように行います。

①遡及の程度
 本件では遡及適用があるといっても、既に成立した納税義務を遡及的に不利益に変更する場合と比較して、遡及の程度は限定されている。

 私見→(1)の総論部分で、「納税者は取引の時の法規にしたがって当該取引に関する納税義務が発生すると信頼するのが通常であるから、不遡及の問題は、すでに成立した納税義務の内容を納税者の不利益に変更する場合に限られない。」と自ら判示していませんでした??こんなのを空手形というのでは。

 また、遡及の程度というときは、遡及する期間の長短のことをいっているのかと思ったらそうではないのですね。

②遡及適用の必要性
 損益通算の廃止の目的は、当時の税制では、譲渡で利益が生じた場合には26%の課税を受けるに止まるのに対して、損失は最高税率50%で総合課税の対象となる他の所得から控除できるという不均衡なものであり、これを是正する必要があった。

 適用時期を平成17年分所得税以降に遅らせた場合、16年12月31日までの間に損益通算目的の駆け込み的な不動産売却がなされ、地価の安定化を阻害する。

 適用時期を平成16年4月1日以降とした場合、同じ暦年で納税者間に不平等が発生するし、納税申告事務や徴収事務の負担を増大させる。

 私見→従来の税制が不均衡なものであり、是正の必要があったといいますが、本件訴訟はこれに異議を唱えるものではありません。納税者にとっては改正はない方がいいのですが、お上がおっしゃるならごもっともなことであり、この点に関してもの申すことはいたしませんといっているのです。すなわち、この事情は、改正の必要性に関する理由であり、遡及適用の必要性とは関係ありません。

 ただ、そのいいたいところを善解すると、こんな不均衡(不合理)があるのだから、早急に改正、施行して、かつ遡及もさせなければならない、ということなのかもしれません。しかしながら、福岡地裁判決がいうように、「損益通算の問題点は数年前から指摘されていたものの、この制度は50年以上にわたって継続して認められてきたものであり、改正前後でこれを変更しなければならないような重大な経済事情の変動があったわけではない。」のです。したがって、この点からする遡及の必要性などありません。

 次に、納税者の不利益に法改正がなされるときに、納税者が不利益回避に動くのは当然であり、これが何か不合理な行動のようにいわれても納税者としては困ってしまいます。それが、近代社会の合理的な経済行為というのではないでしょうか。逆に、駆け込みをさせないように(予測可能性を与えないように)周知もなく改正法を施行すること自体が不合理であるのであって(本件は、公布後翌日施行ですから、周知期間などありません。)、加えて遡及もさせるなどということは本来、論外なのではないでしょうか。

 また、4月1日に法が改正される場合、その日を基準として取扱が異なる結果不公平が生じるので、これを避けるために不利益を遡及させるといいますが、結局は、1月1日を基準に不公平が生じるというだけのことです。判決の論理を前提にすると、4月1日を施行日とし、遡及をさせない通常の租税立法は、国民を不平等に扱う悪法だということになります。これも本気でいっているのと疑いたくなります。

 さらに、損益通算の結果を得るためには、みずから税務申告する必要がありますから、国の事務が大変になることもありませんし、徴収事務の負担の増大などどこにもありません。裁判官は、税務署が事務を行って納税者のために損益通算の処理をやってあげているなどと思っているのでしょうか。

 裁判所の判示するところが、遡及の必要性に関し、説得的であるとはとても思えないのは、筆者だけでしょうか。 ③予測可能性の有無、程度   平成15年12月17日、本件改正の内容を具体化した平成16年度税制改革大綱が公表され、18日にはその内容が主要新聞各紙で報道され、同日の時点で、平成16年度の所得税から損益通算が廃止されることが予測できる状態になった。そして、一部の新聞には、1月1日から適用があることが報道されていたほか、過去の税制改革においても遡及適用となったことが数回あったことからすれば、年度開始までの遡及適用に関してもある程度予測可能な状態であったということができる。

 私見→こんなことを本気でいう裁判官の感覚というのはいったい何なんでしょうか。税制改革大綱が公表され、新聞報道されたら、改正法が成立することを予測しながら取引をしなさいというのです。しかも、過去にあったから今回も遡及適用があることも予測しろというのです。遡及適用が何回あったのか知りませんが、そんなのは例外中の例外のはずです。例えそれが期間税であったとしても、その場合は遡及適用になるのが原則であるという理解などもありません。それを、新聞の一部がそのような予測を載せていたから予測可能であったというのです。さらに、裁判所は、大綱が公表された12月17日に遡及適用も含めて予測した上で、12月31日(わずか2週間)までに不動産の売買契約まですませろといっているわけです。餅か、しめ縄の売買と混同しているのではないでしょうか。裁判官殿、本気なの?

④納税者の不利益の程度
 不動産価格は過去の一定の時期と比較して相当に下落しているので、その損失は多額になっていることも珍しくなく、損益通算を認めないことによる経済的損失は少なくないと考えられる。  私見→その通りです。本件改正による納税者の経済的損失は多額です。千万単位の損失が出ているのが通常ですから、その経済的損失は百万単位です。極めてドラスティックな不利益の程度です。

⑤代替的措置の有無、内容
 居住用不動産については、一定の要件のもと、実体的不利益を被らないようにする措置があった。

 私見→一部取引については、その通りです。

(3)結論  以上の事情を総合的に勘案すると、本改正が違憲無効であるとはいえない。

 私見→上述した通り、とても納得できません。

 暦年の途中で法改正があり、改正の施行直前までに生じた譲渡損失の損益通算を遡って認めないというのは、すでに完了した取引に関して法律を新たに制定した上で、遡って適用して課税するのと同じであって許されない、という単純な話であるあるはずです。

6 裁判官の言い分
  こうやって論評すると、いかにもこっけいな判決内容に感じますが、福岡地裁の判決以外は、同様な内容の判示を行って、国に軍配をあげているのです。

  そして、こうした判示内容は、国(行政)の主張内容でありますし、さらに、本件改正法は、法案の提出者である行政の説明を受けながら国会議員の先生方が審議した上で、遡及効の点についても納得されて(?)成立させているものです。

  そうすると、感覚がおかしいのは、福岡地裁の裁判官であり、筆者であり、駆け込んで課税を回避したいと考える納税者ということになるのでしょうか。

  裁判官にいわせれば、「行政は行政の都合でものを考えるでしょう。ただ、国会では国民目線でその法律案を検討し、国会議員の先生方が、一定の裁量のもとに成立させるかどうか判断されたのですから、その裁量を裁判所はまずは尊重するのが当然でしょう。」ということになるのかもしれません。これを、司法消極主義などといいます。裁判官は出しゃばらないという考え方であり、筆者自身、民主的な基盤のない裁判所は場合によっては消極的であるべきだとは思っています。例えば、自衛隊が違憲か、合憲かというような問題は一部の裁判官が決めるべき問題とは到底思われませんので、司法消極主義が妥当します。

 しかしながら、国民の権利が直接侵害されている本件のようなケースに関して司法消極主義をとるならば、違憲立法審査権を与えられた裁判官の役割はいったいなんなのでしょうか。

  最高裁は、どんな判断をするのでしょうか。